85周年会の「まち歩き」記録
第25回
『スカイツリークルージング & 佃島・月島まち歩き』

  天候に泣かされ 2回中止、今回三度目の正直でスカイツリークルージング実現。
懐かしい江戸のなごりを感じ取りながら、最先端技術の 634mのスカイツリーを楽しむ。
その後、佃島と月島のまち歩き。
日 時:2011年7月 30日(土)
<東京スカイツリークルージング>
集合場所:月島係留場 集合時間:12:30集合 13:00出航 約 2時間のクルーズ 一艇貸切:100,000円
<佃島・月島のまち歩き>
集合場所:地下鉄「月島」駅 7番出口 集合時間:15:30 まち歩き:15:30~18:00 懇親会:18時から 場所:元祖もんじゃ「近どう」2号店
ルート
<東京スカイツリークルージング>
月島係留場~小名木川~扇橋閘門(船のエレベーター)~横十間川~北十間川~東京スカイツリー近辺の往復
<佃島・月島のまち歩き>
月島駅集合~佃天台地蔵尊~佃煮を購入~住吉神社~石川島灯台跡~石川島公園のパリ広場~月島もんじゃ焼き~懇親会
今回の歩数まち歩き(月島駅から懇親会会場まで) 2時間半 6640歩でした。
参加者クルーズ 43名(子ども 2名含む)、 まち歩き 23名(懇親会 19名)
[世 話 人] まち歩き世話人:笠井尚紀(014) 、 クルーズ世話人:横山とみ(018G)

『東京スカイツリークルージング』
新潟での大雨を前夜はテレビで大騒ぎ。本日も実施できるか世話役の横山さんは気が気でなかったと思う。 しかし、朝、雨は降っていない。どうにかもちそうとの判断で決行することにした。

前日の世話役からの挨拶メール:
建築技術の最先端を集約させたスカイツリーを見ながら、江戸時代に造られた運河をたどり、東京のまちのあり方に思いを馳せる…というのが今回のクルージングの趣旨です。
飲んべえグループの皆さまへ などと飲み心を誘っていましたが、船はオープンデッキで、酩酊は危険ですので、宴会は行いません。ただ、暑さもピークの13:00~15:00のクルージングなので、なにがしかの涼を取るために冷えたビールを用意します。

というわけで、こちらで用意するビールは 350ml缶(単価 230円)60缶、500ml缶(単価 300円)10缶、氷(単価 230円)1袋 とします。
<月島係留場>
12:30にはほとんどの人が集合。
今回も集合直前に、電話により助けを受ける人がいましたが、予定時間より少し早く 12:50に出航できました。
ビール、ワイン、ウイスキー、お昼の食べ物、おつまみ等をたっぷりと持ち込み、曇り空の中、出発。よかった、良かった。
白い制服を着た若くイケ面の船長でよかったですね。
麦藁帽子が備え付けられている。皆、ひょっとしたらの強い日差しを避けるためにしっかりとかぶる。
朝潮橋、朝潮大橋、東京港管理事務所佃水門を通り過ぎる。
はるか先にスカイツリーの尖塔が見えてきた。
さらに左に進み隅田川に向かって進んでいく。 右手は豊洲貯木場で、「原木」をためたところで、並んでいるのは「コンクリートの杭」。面白い形をしている。天気もどうなるか分からなかったが、時々青空となる。入道雲のような雲も時々見えるような空模様です。麦藁帽子も役に立っている。
<隅田川>
13:00、この辺から隅田川だ。 さらに隅田川のいくつかの橋をくぐり、清洲橋に近づく。
<解説>の記述にもあるように、男性的なイメージの 『永代橋』に対して、『清洲橋』は女性的で優美なシルエットの代表的な橋であると言われている。 しかし、そのシルエットに対して、近くで見るとその実際の構造は非常にガッチリとしており、青色の塗装色とも相まって重量感溢れる橋となっている。
スカイツリーが大きく見え始めている。隅田川、清洲橋、スカイツリーの3点セットの写真を皆さん撮っている。
清洲橋を通り過ぎ、右手の川に入っていく。この川は小名木川と言う。
<参考> 『清洲橋』
『清洲橋』 は 下流側の 『永代橋』(大正 15年架設) と対をなす橋として計画されたという。 モデルにしたのは、美橋として有名なドイツのライン川に架かる 『ビンデンブルグ橋』で、当時の復興局技術者には、「隅田川」の第二橋梁、「東京の門」として恥ずかしくない橋にしようとの思いがあったようである。 その復興局の記録には次のような記述がある。 「永代橋は隅田川河口の大橋、この橋が太古の恐竜のように、大川を爬行して渡るのに対して、その上流の清洲橋は優しい吊橋の姿を水に映し、そのよきコントラストが都市美に抑揚を与えるように計画した」
<小名木川>
川幅が狭い。小名木川水門をまず通過。さらに7つほどの橋をくぐっていく。
黒松が両岸に植えられている。江戸のなごりだろうか、情緒がある。
この頃になるとかなりビール、ウイスキー、ワイン、昼食をとっているので、皆元気になっている。
スカイツリーもますます大きく見えてくる。
13:20頃、新扇橋の下を通過し、扇橋 閘門(おうぎばしこうもん)の前に出る。赤信号なので、船は停止する。
船長が、しずくがたれてくるので、荷物をビニールで被ってくださいとか、傘の準備も宜しくとアナウンスする。何でだロー。 少し待つと二人の乗ったつり用のレジャーボートが出てきた。
青信号で我々の船が、2つの水門に挟まれたスペース(閘室内)に前扉から入り込む。
<扇橋閘門(船のエレベーター)>
水門の下を通過するとき、上がった水門から水滴がだらだらとたれてきた。皆傘をさして避ける。こういうことだったのだと理解。
晴れてきているので、少しくらい水に濡れても気にしない。
水位を人工的に昇降させることにより船を通過させるというものだ。1.5mほど水位が下がっていくのがよく分かる。東京のミニパナマ運河だ。
<この仕掛けは以下のホームページで勉強しましょう>
http://www.kensetsu.metro.tokyo.j p/chisui/jigyou/suimon/sisetu/oug ibashi_drive.html
形式:鋼製単葉ローラーゲート; 径間:11m×1連; 門扉 高さ:前扉5.9m 後扉7.3m; 竣工:昭和 51年度
水位の低い小名木川に後扉をくぐって進んでいく。 少し行くと東京製粉と言う大きな建物が見え、川に向け船に積まれている小麦だろうかを吸い上げる大きな仕掛けが珍しい。週に 2、3度船が運んでくると言う。
さらに 2つほど橋をくぐっていく。

13:40頃に左折して横十間川に入っていく。
<横十間川(よこじっけんかわ)>
この辺の岸では、はぜを釣る人があちこちにいる。暑い中釣れるのだろうか。
両岸には遊歩道があり、自転車も走っている。気分的に涼しさが感じられる江戸のなごりだろうか。 猿江恩賜公園が左手にあるという。
この辺はオランダのアムステルダムと同じように運河の都といわれていたのかも。江戸の水郷は美しかったと言われている。200年前に遡った自然を回復できると良いですね。
スカイツリーが青空の中にしっかりと存在感を示している。もう少しで目的の場所のようだ。
<北十間川>
13:55頃にさらに左に折れて、北十間川に入る。この川に入ってすぐに十間橋が目に入ってきた。
この橋の下を少しだけ通りすぎたところで船は停止し、元に戻っていく。
<東京スカイツリー近辺>
ここがこのクルーズでのスカイツリーに一番近づいた地点だ。皆写真を一生懸命撮る。北十間川の水面にスカイツリーもぼんやりと写っている。
約 5分の撮影、見学の時間でしたが、目の前に見える巨大なツリーはすばらしいものでした。
14:00に船は戻り始める。
<帰路>
後はひたすら戻っていくだけ。
横十間川に少し入ったところで、船長にお願いして全員の記念写真を撮る。
月島橋をくぐり、15:05にクルーズは終了。2時間 15分のクルーズでした。

今回のクルーズが成功したことに対しての感謝の言葉:
三度目の正直ならぬ就航、おめでとうございます。雨にも負けずここまで頑張った甲斐がありましたね。 それにしても長い道のりでした・・船上で乾杯しましょう。
『佃島・月島のまち歩き』
<月島駅集合>
15:30に月島駅前でしばらく時間調整。トイレ休憩もここで。まち歩きスタート。

佃2丁目8の路地には、昔のゴミ箱(石つくり)が懐かしい。この辺の建物は細い路地で必ず仕切られている。
<佃天台地蔵尊>
16:05:人一人が入れるほどの狭さで、昼でも薄暗い路地に入っていくと左手真ん中辺に怪しげな佃地蔵尊の堂がある。
右手奥の方に地蔵尊の建物の天井をくりぬいて、大きなイチョウの木がしっかりと根をつけている。水をかけないようにとの注意書き「銀杏の木保護の為、水をかけない様、お願い致します」がある。 細い路地から空を見上げると大きなイチョウが、周囲の家々の上に大きく枝を伸ばしている。
16:15:佃 1丁目 4近辺の建物は昔の雰囲気を残していて、懐かしい。「佃島」というお酒も売られている。
解説>佃天台子育地蔵尊
この佃天台子育地蔵尊は、頑是ない子供衆の様々なことを、御守護下さる本願がおありになりますと同時に長壽延命・家内安全・諸願成就の地蔵尊といわれていることから古くから佃島の人々はもちろんのこと多くの人々に信仰され今日に至っております。
<佃煮を購入>
16:20:佃煮屋「天安」で買い物をする。歴史のある暖簾だ、古傷が沢山。
この「天安」には葉唐辛子を売っていなかったという人がいて、別のお店「丸久」を覗く。そこには 100g350円の葉唐辛子があった。即購入。
「丸久」のそばには、北条秀司の句碑がある。「雪降れば 佃は古き 江戸の島」と刻まれている。
一之鳥居には地元の人がビールを飲みながら、夕涼みをしている。一人仲間になりたそうな人がしばし会話。
<住吉神社>
一之鳥居の前を右に曲がると、そこに住吉神社の鳥居が見える。しばらく見学。
鰹塚も見学。鰹節問屋がこの住吉神社を生業繁栄の守護神として奉賛していた。昭和 28年に建立された。費用は組合員の浄財。
<解説>住吉神社
中央区教育委員会の解説板 住吉神社は江戸初期に、摂津国西成郡(大阪市)佃村の漁民が江戸に移住した後、正保三年(1646)に現在地に創建された佃島の鎮守です。 当社は、創建以来、佃島の鎮護のみならず、水運関係の人々から厚い信仰を受けてにぎわいました。 水盤舎は欅(けやき)材の切妻(きりづま)造、瓦葺きの建物です。明治二年(1869)に再建され、同四十四年に改築されました。
水盤舎の欄間は、明治二年再建時のものを使ったと推定されています。 欄間の正面には石川島の灯台と佃の渡し、側面には帆をはった回船や網をうつ小舟、背面には磯の景色、また内側にも潮干狩りなど、佃島の風景が彫られています。 石造の水盤には「正保十二年(1841)白子組」と見え、木綿問屋組合が寄進したものです。
正面鳥居の上にある扁額は、珍しい陶製で、白地に呉須で額字や雲文を染付けています。明治十五年(1882)六月に制作され、額字の筆者は有栖川宮幟仁(たかひと)親王です。
水盤舎陶製扁額は、共に中央区民有形文化財に登録されています。
なお、住吉神社は国内に約 600社あるといわれている。
<解説>水盤舎
水盤舎(おみずや): 水盤舎は手水舎(ちょうずや・てみずや)とも言い、参拝者が身を浄めるために手水を使う施設のことです。
<解説>陶製扁額
陶製扁額(へんがく): 境内の鳥居に格式高く飾られている陶製の扁額に見える文字は有栖川宮幟仁親王の筆による。 これは明治天皇が北海道より還幸される際、越中島へ有栖川宮幟仁親王が出迎える途中、住吉神社に立ち寄り、この社号を書いたものと伝えられている。
16:40頃に近所のおばさんと仲良くなって写真を撮る。
<石川島灯台跡>
灯台の下は公衆トイレとなっている。この辺は昔、佃島渡船があったところ。
<石川島公園のパリ広場>
時間調整も含め、隅田川の涼しい風を受けながら、17:00から 17:25までゆっくりと休憩を取る。
昔、石川島造船所があったところ。よく分からないが昔は小さな島が別々に存在していたのだろうが、今は地図で見てもそのなごりはない。
<月島もんじゃ焼き>
地下鉄月島駅でまち歩きだけを楽しんだ一部の人は別れる。
月島西仲通り商店街を通って、目的のもんじゃ焼きのお店、「近どう」2号店に向かう。3番街に古い形の交番がある。交番の中には「こち亀」のポスターが貼られていた。17:50だ。
18:00ちょっとすぎに「近どう」2号店に到着。
<懇親会>
ビールの乾杯で懇親会は始まる。
もんじゃ焼きの指導を受ける。まず、具だけでドウナツ状の輪の囲いを造る。そこにもんじゃの残り汁(タレ)を三回ほどに分けて少し固まるように熱を入れる。その後はかきまぜ、大きく平らにして、じっくりと焼く。焦げてきているところから小さなへらで切り取り、食べる。3種類ほどのもんじゃ焼きを楽しむ。
お酒も入り各テーブルでの会話も進んでいる。90周年、95周年の人も参加している。
途中、次回のまち歩きの紹介もあり。次回は9月3日土曜「二宮と大磯のまち歩き」です。参加を宜しく。
20:40に終了。皆さん無事に自宅に帰りましょう。
 
 
「まち歩きリスト」 に 戻る
 
  Copyright Shiyu alumini association All Rights Reserved