<いざ出港> |
|
NPO「あそんで学ぶ環境と科学倶楽部」の「まち歩き」番外編は2回目。1回目はちょうど3年前の6月に「神田川・日本橋川コース」。好評で「もう一度」の声は大きかったのですが、2回目は難産。2年前の9月に2隻チャーターで予定を立てたところ当日の朝になって低気圧接近のため急遽中止。昨年は企画したものの3・11のため中止。今年も5月に予定していましたが、先方の都合で中止。今回も、前日の雨のため実施が危ぶまれていたことを船の中で聞きました。
まずは、「あそんで学ぶ環境と科学倶楽部」の事務所で事前レクチャー。単なる船遊びでないことを実感。救命ベルトを着けて出発です。
|
|
|
|
|
|
船はこんなに小さいのですが、乗ってしまえば狭さは感じません。この船、国内に数隻しかない電気駆動。おかげでエンジン音に邪魔されることなく船長(ガイド兼)さんの説明をじっくり聞くことができました。
いざ出港。
|
|
|
|
夢の島で昼食 |
|
東京の湾岸地区を川から見学。川鵜が増殖中だそうです。南の花が咲く夢の島に上陸し、昼食です。
|
|
|
|
|
|
お弁当を広げると島に住み着いた猫が近寄ってきます。 |
|
|
|
|
|
小名木川へ |
|
昼食後、いよいよ本日の目的地、小名木川へと向かいます。荒川を上り荒川ロックゲートへ。スエズ運河よろしく、前後の水門で水位を調節して、旧中川から小名木川へと進みます。 |
|
|
|
<参考> 荒川ロックゲート |
|
荒川ロックゲートは、前後のゲートの間隔は65mで幅は14m。このゲートを通過するには前後左右に余裕が必要で、最大長さ55m、幅12m、高さ4.5mの船が通過できます。
また、震災時の支援活動が速やかにできるよう、閘門としては初めて阪神・淡路大震災クラスの地震でもゲートが耐えられるように設計されています。ゲートの開閉速度も10m/minと日本で最速です。
|
|
|
|
|
小名木川は江戸の水運の要。行徳の塩や様々のものが江戸のまちに運ばれたそうです。下の左の写真は船番所跡。角の赤で囲われたマークは、道路信号の川の交通版で、「波を立てるな」のマーク。右は製粉会社。今でも原料は船で運ばれてくるそうです。 |
|
|
|
<参考> 小名木川 |
|
万年橋の下を通り、隅田川と中川を結ぶのが小名木川。
この川は、徳川家康が天正18年(1590)行徳の塩を江戸に輸送するために作らせた運河で、この川を開削した小名木四郎兵衛にちなんで付けられたそうです。江戸時代、川幅30mを超える大運河で、物資の輸送、成田山詣でなどに使われていました。
|
|
|
|
|
小名木川沿いは、その物流の魅力から明治以降工業地域に。戦後の高度成長期には地下水のくみ上げで地盤沈下が生じ、堤防がどんどんかさ上げされてしまった。今は、ポンプで水位を調整しており、堤防も昔の高さに。右の写真は高い堤防を撤去し、水辺に近づける新しい堤防に改修中。 |
|
|
|
|
|
小名木川中間の扇橋閘門を通過。
こちらは荒川ロックゲートのコンクリート製ではなく鉄製のゲート。そのため開門時は、真水を掛けておりゲート通過時に大量のしずくが落ちてくる。 |
|
|
|
<参考> 扇橋閘門 |
|
江東区は、東側が地盤が低く、西側が高い地形。1971年策定の江東内部河川整備計画で、東側の水位を一定に保つ水位低下区域として、また西側の感潮部を耐震区域として整備することとなりました。
扇橋閘門は、両区域の接点に位置し、最高2mの水位差を調整して船舶の航行を可能にするためにもうけられた。
|
|
|
|
|
小名木川を出て隅田川へ。船長さんはスカイツリーが船の真後ろになるように操船。絶好のシャッターチャンスでした。 |
|
|
|
|
|
無事帰還 |
|
途中川へ落ちる人もなく、無事にマリーナへ。
ここで1名が帰り、残る9名は魚河岸へと向かいました。仲間との楽しい語らい。水を通しての日々についての反省等有意義なひとときを過ごすことができました。世話人さんへ感謝。 |
|
|