85周年会の「まち歩き」記録
第40回 (番外を含めた通算 第49回)
川の跡をたどる - その2
文京区 神田上水の跡 と コンサート(六本木)

案内人 019 高橋さんの「川の跡シリーズ」 第2回。
爆発的 に人口 が増加 する江戸の初期に、飲料水をどう確保したか?
神田上水のルートを辿り、ルーツを理解する まち歩きでした。


日 時 : 2013年10月26日(土) 有楽町線 江戸川橋公園入口、13:00 集合
ルート : 江戸川公園 関口 取水跡地 → 目白坂下 → 旧 文京5中跡 → 安藤坂下 → 北野天神 → 小石川後楽園( 神田上水跡などの散策) → 水道橋 → 神田上水の懸樋跡(神田上水が、神田川の空中を 樋で神田側に渡っていた所。明治34年まで 使用されていた) → 本郷給水所公苑 → 東京都水道歴史館 → 丸ノ内線 本郷三丁目駅
まち歩きはここまで。 → 地下鉄で六本木に移動 → サテンドール
参加者 : 18名 (途中からの参加者を含む)、  打ち上げ : 18名
案内人 : 高橋俊一さん ( 019E )

歩 数 : 15,500歩

台風27号と28号が関東地域に接近・通過中だったが、決行を決断。 まち歩き中、ずーっとの雨を覚悟していたが、スタート後徐々に曇り、まもなく晴れになる天気でした。
                  本日の資料は 1883年(明治16年)測量の、5千分の1地図。

集合 : 江戸川公園 入口
交差点を予定していたが、スタート時点では雨が確実となったので、公園入口の高速道路の下に変更された。
ここなら 傘無しでもOK。 まず案内人から、神田上水の歴史について説明を聞く。

遅れてきた人とも合流して、雨の中を1時半にスタート。

江戸川公園 大関 取水跡地
江戸時代には大滝橋の付近に「大洗堰」があり、神田川の水を取水して江戸の町に供給していた。 上水の改修工事には俳人松尾芭蕉も関与していたと説明がある。

神田川整備の時に発見された石で、取水口のイメージが復元されている。 その位置が神田川の水位よりも やけに高い、という指摘が・・・。 
案内人の説明は、昔の川の水位はずっと高かった。つまり、川が浅かった。 それから、復元されたモニュメントの位置が公園のレイアウト上、元の位置ではないのだろう とのこと。

目白坂
神田上水とは関係がないが、なぜ関口に目白坂があるのか。
今の目白は、山手線ができた時に国鉄が勝手に「目白駅」としたためで、昔、目白坂の上に「目白不動」があったのを、強引に駅名としたもの。 ここが 地名目白の発祥の地である。

天気予報を信じて 傘を持ってこなかった人が、やむなく コンビニで ビニール傘を購入。
 
旧 文京5中 跡
小石川は 府立五中 だったが、ここは統合で廃校となった 文京区立5中があった場所。 
既に建物はなく、地名案内板にその名残が少し残されていた。 服部坂を挟んだ隣の体育館は再利用されている。

大日坂、服部坂、荒木坂 など
小日向台の南側に沿って ほとんど水平に通された神田上水の跡を歩く。 昔は開渠だったのだが 明治になって蓋をしたそうだ。 左側には寺が並び、その間の道は上り坂。 善仁寺、日輪本法称名などの前を通過。 いつものまち歩きなら 寺を訪れたりするのだが、今回は川の跡歩きなので先を急ぐ。 国際仏教学大院の中に 徳川慶喜公 旧屋敷跡の碑がある。

せっかく傘を買ったのに、雨は早くも あがってきた。

金富小学校 には 開校 105 周年 と表示さ と表示さ れている。 この辺は古い町なのだ。
北野神社は時間不足のためスキップして、小石川後楽園に向かう。

小石川後楽園
神田上水は後楽園の中を流れていた。 昔の面影を作り上げている白塀に沿 って歩く。 江戸城の外濠石垣材を再利用して作られたものだ。 


上部は新しいものだが、下の石には石垣の工事をした組?のマーク が掘られている。

後楽園の入園料は一般 300円、65 歳以上 150円 。 2名だけが300円支払う。
後楽園は説明するまでもなく、水戸徳川家 上屋敷の庭園。 一般的に大名屋敷は高台に位置するものだが、ここは神田川沿いの低地。 一説には 中を流れる神田上水を監視する重要な役目を兼ねていたためという。
後楽園は二代藩主徳川光圀が完成させた。 

円月橋は朱舜水の設計と指導により、名工「駒橋嘉兵衛」が造ったもので、橋が水面に写って 満月になる。

園内には神田上水の跡が 昔の地図通りに残されている。 すぐ隣は後楽園ドームで、イベントの大音響が聞こえた。

水道橋 → 上水の掛樋跡
神田上水は、水道橋の少し下流で神田川の空中を樋で渡っていた。 明治34年(1901年)まで使用 されていたというから驚く。 廃止後も、現在の後楽園遊園地にあった陸軍 東京砲兵工廠の工業用水として使われた。
“水道橋” の名は、この懸樋あるいはその前身が由来というのが通説。
掛け樋が掛かっていた場所に碑がある。 この絵は、江戸時代に描かれたもので、お茶の水坂あたりの のどかな風情が感じられる。

神田上水で使われていた石樋
東京都水道歴史館の横、本郷給水所公苑には、水道橋付近で発見された石樋(地下に埋められた樋)の実物が復元されている。
水道歴史館
江戸上水から近代水道までの歴史と技術を展示している。 掛け樋の精巧な模型があった。 神田上水・玉川上水や、江戸の下町に木樋などで張り巡らされた水道の展示を、ゆっくりと30分ほど見学。 まち歩きはここまで。

<懇親会>
今回のまち歩きは、016 の冨樫さんの ジャズ歌手開始 8周年記念コンサートの日に合わせて開催された。 丸ノ内線本郷三丁目に出て、会場の六本木まで地下鉄で移動。

少し早く着いたので、そばの飲み屋で時間調整をする。 ここで飲んでおくと、コンサート会場で飲む量が 少なくなる との皮算用もあるが、期待ほどではなかった。
サテンドールのコンサート
小石川時代に冨樫さんが活動していた「野球部」のOBも大挙来ていて、会場は満席状態。 ワインを楽しみながら、歌と演奏を堪能。 最後まで懇親を深めた。 次回は忘年会付きのまち歩きです。
 

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