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○ |
311当日、たまたまインド旅行中で、こわいおもいをしなくて済みましたが、散乱した本や食器の片付けが大変。まだ、未完了です。地盤強化工事中。
冷蔵庫の開放防止策をおすすめします。(もちろん、TVなどの対策も)
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(4月29日消印、ひたちなか市在住) |
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○ |
無事です。 |
(4月29日消印、鹿島市在住) |
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○ |
家屋は少々こわれました。墓はかなりこわれました。田圃は用水路が被害を受け5月20日以降に回復の見込みですので、その後田植えとなります。心配なのはその後の気象と放射性物質です。
紫友会の益々の発展を祈ります。 |
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(5月13日消印、水戸市在住) |
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○ |
家は外壁にヒビが少し入っただけですみました。家の中は茶わんが3,4個割れただけでした。電気水道は2日間止まって外の情報は何もわかりませんでした。
主人は去年1月に脳コウソクで倒れ週に4日デイサービスに通っています。要介護2の判定ですので歩き話し右手は使えます。小石川時代の話はよくします。(奥様より) |
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(5月1日消印、水戸市在住) |
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○ |
お見舞いありがとうございます。幸い食器類の落下破損、本、CDの落下等で済みました。茨城県は大地震が起こらないと思っておりましたが、どこで発生しても不思議ではないとわかりました。
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(5月2日消印、水戸市在住) |
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○ |
私も家族も皆無事です。(墓は大きな被害にあいました。)
同窓生皆様のご無事を祈っております。 |
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(5月13日消印、水戸市在住) |
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○ |
家族一同怪我等もなく無事でした。居住しているマンションも一部外壁がはがれたりヒビが入ったりする部分はありましたが、大きな損傷はありません。家財道具も全て無事でした。 |
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(5月9日消印、水戸市在住) |
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○ |
無事です。 |
(4月30日消印、潮来市在住) |
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○ |
無事です。同窓会、ご苦労様です。 |
(5月x日消印、日立市在住) |
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○ |
防災意識の高い地区でしたので、幸いにも市内死者はありませんでしたが、家屋の損傷はあちらこちらで見受けられます。本震よりも余震の回数が他よりも多いため、地震酔いやPTSDを患う人多数。我が子(小2女児)も続く余震に不眠や嘔吐が続き連休を利用しての帰省でようやく元気になりました。ただ、放射能に対しては自己防衛も限界があり、そちらの方が深刻です。
各界にいらっしゃる小石川卒の皆様へ。どうぞ皆様の英智を集結して1日も早く子供達を放射能汚染から救ってください。信じています! |
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(5月6日消印、日立市在住) |
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○ |
ものすごい激震に肝を冷やしましたが幸いガラス、瀬戸物がバケツ一杯こわれる程度ですみ、電気が3日め、水道が5日めに復旧、ガスがおくれて4月5日、25日めに復旧、その間入浴ができずこまりました。津波の恐ろしさ、原発の恐怖が明るみになるにつれ不安がつのりました。亡くなられた方々に心から弔意を表したいと思います。同窓会の皆さまに改めて感謝いたします。 |
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(5月5日消印、仙台市青葉区在住) |
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○ |
無事です。 |
(5月2日消印、仙台市青葉区在住) |
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○ |
お見舞い有難うございます。当日、自宅にあって人形ケースがとび出し天井から額が落ち何回も大きな余震が続きましたので、暫くは門の外に避難しておりました。電気・水道・ガスのライフラインが止まり、45日後のガスの復旧まで自宅での入浴が出来ませんでしたが、只今は漸やく元に戻っております。
兄(故人)は13回卒であり、同窓の方々の消息を求めております。名簿等を通して窮屈でない情報をお伝えください。 |
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(5月10日消印、仙台市太白区在住) |
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○ |
食器、TV、掛時計、本棚の本、神棚、等々 全・半壊。未だヒナン中の人達のことを考えると損害は微々たるものです。お見舞い有難うございました。
D組→お互い末期高齢者となりましたがなにか役にたつことがあれば(殆どない)ガンバリましょう。 |
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(5月20日消印、仙台市宮城野区在住) |
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○ |
3月11日の本震も4月7日の余震も、ともに物凄いゆれでしたが、幸い家屋の破損はなく、硝子の食器などがいくつか壊れた程度ですみました。
同窓会のご配慮に感謝いたします。 |
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(4月29日消印、仙台市青葉区在住) |
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○ |
二階の外壁が脱落し、そのため瓦も50枚程割れました。その他給湯器もこわれました。小生は外出していたので命には別状ありません。水(1カ月)、ガス(2カ月)、電気(1週間)止まったので生活するのに大変でした。家は山側にあるので津波の被害は全くありませんでした。
同窓生の家族からのお見舞いをいただきました。有難うございました。
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(5月25日消印、仙台市太白区在住) |
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○ |
被害は家屋。基礎がぐるりとヒビ割れ、要修繕です。これが一番ヒドイ・・・ガラスその他は仕方ない事のようです。私ども夫婦には何も支障なく幸運でした。
皆様、何卒、つつがなくお元気で。 |
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(5月1日消印、仙台市太白区在住) |
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○ |
屋根瓦損傷、室内めちゃくちゃ、私の部屋は本に塞がれてドアが開かなくなり今もそのままです。全国に当地の震度7と報じられ、電話復旧、郵便再開後多くの知人に安否を気づかって貰いましたが、震度7はうそで震度6でした。私は空襲で家全焼、学童疎開縁故疎開した世代ですが、今福島県人おことわりの貼り紙の店とか、福島から来た子と遊ぶと放射能がうつるとか、よそものに冷たいのは戦時中(65年前)と同じですね。特に在校生に、与えられた「新しい歴史を作る会」の歴史教科書をそのまま信じないで6年間で沢山の本を読み友人と議論して自分の歴史観・世界観を作ってください。
御心配有難うございます。津波被害の岩手〜千葉の方々に比べると今も避難所生活の方と比べると停電・ガソリン不足・断水はあっても大体は旧に復し申し訳なく思っています。 |
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(4月29日消印、栗原市在住) |
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○ |
1.家屋の被害は特にありませんでした。家具は全て固定してあり蔵書の落下、ガラスや陶器が少しこわれただけでした。
2.ライフラインが止まり少し苦労しました。電気−懐中電灯と携帯ラジオで3日間。水道−給水は5時間並び等で、半月。ガス−1カ月風呂に入れず、ストーブで煮炊き。ガソリン−1カ月なし。電話はかかりません。
3.食料が不足し、スーパー4時間待ち。
4.現在、全ては解消されましたが、余震が多く恐怖を感じます。(4/7に大きいのが来ました)
[5.]やはり地震は必ず来ます。建物補強、家具の固定、給水用のポリタンク、ガスの代わりなどを準備しましょう。 |
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(5月5日消印、仙台市青葉区在住) |
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○ |
水・ガス・電気が3週間以上とまったため自宅を離れて避難。自宅は高台にあるため津波を受けなかったが、家財、家は地震により多少の被害。
津波被害を受けた人がいたら、同窓会として現金を送るのが一番いい。
被害者に関心を抱く同窓会には感謝します。 |
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(4月xx日消印、七ヶ浜町在住) |
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○ |
在住のマンション 震度7に揺さぶられて4LDKの全室が内部散乱し、家具破壊、ガラス器、陶器は粉砕、天井板落下して、3/11当日は自宅に入れず、エントランスで夜明かしした。生活インフラ(水、電気、ガス)で約3週間忍耐。
県南部の別荘 大津波が床上スレスレ迄押寄せ、家の倒壊は免れたが周辺は自動車(他家の)や大量のガレキで埋まり自衛隊やボランティアの協力待ちの現状にある。
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(5月1日消印、仙台市宮城野区在住) |
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○ |
御心配いただき、ありがとうございます。私の家は海からは遠く、幸い津波の被害は皆無です。震度6強の被害も、家そのものにも、私自身にもなく、家具その他ボイラー等の被害はありましたが・・・大したことではありません。家もある、誰も亡くなっていない、それだけで、ありがたいことです。
ライフラインのない生活も、幸いまだたくさんつもっていた雪を(水として、冷ぞう庫として)使い、戦時中を思い出し乍らローソクのもと早寝・早起きの生活でした。 |
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(5月4日消印、蔵王町在住) |
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○ |
お蔭様で何の被害もありませんでした。停電断水も3日で復旧しましたので15日より普通に診療を開始しました。 |
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(5月9日消印、大崎市在住) |
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○ |
地震発生の時、自宅に夫とおりました。凄まじい揺れが長く続き、辛うじて、立っていられる状態でした。幸いなことに家が高台にありましたので被害はほとんどありませんでした。明かりの消えた街の向こうに仙台港の石油タンクが赤々と燃え、近くには緊急車両の赤色灯の点滅があちこちに見えました。空には満天の星が輝いて沿岸部を眺める時、変わり果てた景色に非日常であることを思い知らされています。
通話困難の中、電話をかけ続けて安否を心配して下さったクラスメート、やっとつながった時は嬉しくて涙が出ました。今回のお葉書も含めて「繋がり」を実感しています。 |
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(5月6日消印、名取市在住) |
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○ |
拙宅にも内外壁に多少のクラックが発生しましたが、大禍ありません。ライフラインも新幹線、仙台市地下鉄等復旧しました。個人生活レベルは旧に復しました。
マスコミ等で報じられている通り、今回の震災の惨事は沿岸部を中心に発生しており、それ以外の地域との落差は想像を絶するものです。なにとぞ、赤十字等を通じた義援金等の御支援をお願いいたします。 |
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(5月9日消印、仙台市泉区在住) |
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○ |
自宅は昨年末に新築した平屋でした。地盤の固い場所だったせいか被害は皆無でした。しかし、インフラが3日全部不通だったこと、ガスが1月使えなかったことは文明というものを知りました。研究室ですが、建物の壁はヒビがはいり顕微鏡など重量物が床へ落下したりで、物的被害が大きいものでした。
大地震から2か月が経ちました。大きな余震の頻度も激減し、暖かくなって平静をとり戻しつつあります。福島を思うと天災は一瞬、人災は尾を引くと感じます。精神的にはうつ状態が続いております。 |
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(5月20日消印、仙台市青葉区在住) |
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○ |
仙台往診クリニックという往診専門の診療所に勤務しています。仙台市内の自宅マンションで3月11日の地震にあい、幸い食器がこわれた程度で済みました。電気水道は3日目に復旧しましたが、ガスは4月12日で、今さら日常のありがたさを感謝しました。
今回の東日本大地震の被害は津波によるものがあまりに大きく、明暗を分けています。当然それ以外でも、多くの被害があり、息の長い支援(税金なども含んで)が必要と感じています。 |
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(5月3日消印、仙台市青葉区在住) |
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○ |
宮城県沖地震は30年以内に99%の確率で起きると言われていましたのでそれなりに準備はしていましたが、今回の大地震はそれを上回るものでした。幸いにも断水はせず、助かりましたが、ガスの復旧には1ヶ月かかりました。電気は3日後についたので、カセットコンロを併用しつつもボンベは1週間もたずに1本使ってしまうので、手持ちは3本しかなくあせりました。物流がとどこおり新たに1本だけ手に入ったのは2週間後。ガソリンも並ばずに入れられたのは3週間後でした。万が一のためにと備えておいた石油ストーブは古くなり処分してしまい、買おうと思っていた矢先のことで、電気がつくまでスキーウェアのような服で過ごしていました。日頃の準備の大切さを思い知りました。
今回の大地震は1,000年に一度とも言われ、869年の貞観地震と同規模だったと言われています。津波は三陸に来るが仙台平野には来ないといった思いこみがありました。仙台市若葉区霞目に浪分神社という小さな神社があるそうです。海岸から5.5kmのこの地に、昔、大津波が来たことを伝えるものだという事を近くに住む人も知らなかったそうです。また、郷土史家の方が16年前に出した本に、仙台平野は180〜200年周期で大津波に襲われそろそろ危ないと警告していました。ですが、皆、そんなことは知りませんでした。もっと多くの人が知っていればと悔やまれます。特に思ったのは昔起きた地震や津波は必ず又起きるのだということです。ご自分の地域の過去の事例を調べてみることも大事なのではと思います。 |
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(5月29日消印、仙台市青葉区在住) |
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○ |
ご近所では、建物等にかなりの被害を受けた方が多々いらっしゃいました。私の家は、その中では軽い被害ですんだ方だと思います。家族も、被害を受けましたが無事です。
ご無沙汰しています。なんとか無事に生活しております。皆様のご無事をお祈り申し上げます。 |
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(5月29日消印、柴田町在住) |
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○ |
玄関の前に打ってあるコンクリートにひびがはいった位で家自体はなんともありません。家族全員無事です。周囲の道路はひび割れが出たり段差ができたりしています。
心配かけてすみません。家から車で30分ほどの志津川や石巻は、大変な被害にあってますが、うちのあたりは、何事もなかったのではと思う位の別世界です。6日間の停電は経験しましたが、幸い水道もガスも止まりませんでした。ただ、車がないと買い物もできない所なので、ガソリンを入れるために主人は朝5:30から5時間ほど並びました。今は、普通にもどりました。余震が続いているので、それだけが心配です。 |
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(4月29日消印、登米市在住) |
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○ |
仙台市の中心部に近い青葉山に、私の住居と、勤務先である宮城教育大学があります。地震によるライフラインの途絶には苦労しましたが、住居にも、勤務先にも、子供たちの学校にも、建物には大きな損傷はありませんでした。福島第一原子力発電所から漏れ出る放射性物質への懸念を除けば、私も家族もライフラインが復旧した今は以前と同様に暮らしています。
沿岸部はまるで状況が異なります。4月21日に石巻市に行きました。運河にかかる橋は自動車が絡まり、港の近くから内陸部に向かって、津波によりすべてが流された区画、床上浸水した区画、床下浸水した区画、影響を受けなかった区画が、ほんの数百メートルおきに並びます。東北ではいろいろな意味で大変なことが起きています。
今回の地震では「想定外」と言う言葉をよく聞きます。荒い計算ですが、1000年に一回の地震にも人生100年のうちには10%の確率で遭遇します。想定外のことが起こるのは当たり前のことです。
これまで育ててきた学生たちが、震災に際して自らと子どもたちの命を守る教師として活動したことを祈りつつ、私の仕事である教員養成の面から、想定外に備える人材を育てる方法を追求していきたいと考えています。紫友同窓会の皆様もこのような活動にご興味をお持ちいただければ幸甚です。 |
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(4月30日消印、仙台市青葉区在住) |
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○ |
南蔵王の東に面して白石川のほとりの地ですが停電以外大きな被害は在りませんでした。 |
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(5月10日消印、蔵王町在住) |
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○ |
震災後1ヵ月はライフラインの復旧が進まず大変でしたが、4月中旬以降はほぼ以前の生活が取り戻せています。 |
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(5月23日消印、仙台市泉区在住) |
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○ |
ご心配をおかけしましたが、こちらはお蔭様で家屋の被害もなく家族皆無事です。3月11日以降しばらく給水が必要だったり、ガスも復旧まで1ヵ月以上かかりましたが、現在は普通の生活に戻っています。
ライフラインがなくなってみると、今までの便利な生活のありがた味を痛感する日々でした。でも節電も大事ですが経済復興の為には買い物や旅行もしてお金を使うようにしましょう。 |
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(5月2日消印、仙台市青葉区在住) |
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○ |
震災当日より数日間は、ライフラインが復旧せず苦労もしましたが、幸い津波の被害もなく家族共々元気にしております。
現在、相馬の公立病院にて仕事中です。放射線の影響はありませんが、多忙です。 |
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(6月5日消印、仙台市青葉区在住) |
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お見舞いありがとうございました。当方二日間の停電のみにて被害微少でした。 |
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(5月2日消印、八戸市在住) |
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○ |
3月11日の地震で、本、人形のガラスケース、食器(コップ、皿、茶碗、ドンブリ)などが落下、破損。水道、電気、ガスとまる(水道は4月2日まで)。福島第一原発事故で放射能物質飛散、4月15日〜4月4日(ママ)まで福島市へ避難。4月11日の余震で再び断水。その後、余震は沈静しつつあるが、換気扇は回さず、窓はあけないという放射能への不安は続いています。いわき市の沿岸部の津波による被害甚大、死亡または不明約400名。
「原発の安全性を求める福島県連絡会」は、05年5月10日に、当時の東電勝俣恒久社長宛の申し入れ書をもとに交渉し、津波に対する危険性を具体的に指摘し、三度にわたり、改善を求めたそうですが、東電側には、まじめに改善を検討する態度が見られず、その申し入れ書で訴えている通りになってしまったとのこと。正確には上記「連絡会」に紹介してみてください。 |
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(5月25日消印、いわき市在住) |
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○ |
2回の地震で、家や家具に若干の損傷はありましたが、問題になるほどではありません。 |
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(4月30日消印、いわき市在住) |
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○ |
いわき市は海岸部は津波の被害を受けましたが、私のところは大丈夫でした。 |
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(4月29日消印、いわき市在住) |
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○ |
ブロック壁などこわれているところもありましたが、我家はおかげ様で無事でした。
ライフラインが、3/11、4/11の本震余震でしばらく途絶えてしまいました。この間にお見舞いの電話などいただいて失礼した方もいらっしゃるかと思います。この場を借りて御礼申し上げます。今一番の希望は原発の早期の収束です。 |
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(5月7日消印、いわき市在住) |
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○ |
被害はなく過ごしています。直後は原発問題もあり、断水も重なり、飲料水、食料等で不便な時期がありました。但し、いわき市の海岸部は津波で被害にあい、アクアマリンふくしま(水族館)、スパリゾートハワイアン等の施設は再開の見通しが立ってないようです。
岩手、宮城、福島の同窓生で被災されている方には何らかの形で応援したいと考えます。
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(5月31日消印、いわき市在住) |
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○ |
仕事、生活共に今まで通りです。 |
(5月12日消印、郡山市在住) |
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○ |
私に住んでいる郡山市は震災による直接の被害は比較的小さく済みました。それよりも、東電の原発事故の影響は深刻で、東電から60km離れていますが、子供たちと若い女の人が郡山から逃げ出しています。残った人も、長袖、帽子、マスクの3点セットを着用する人が増えています。私は何時ものように週末ゴルフを楽しんでいますが、ゴルフ場もガラガラです。
福島の観光地は何処もガラガラです。今は原発近くの避難民が温泉宿に仮住まいしていますが、秋になればどこの温泉宿も閑古鳥が鳴いている状態でしょう。会津方面は放射線量も低く、東京とほとんど変わりません。秋の裏磐梯にはおいしい空気、きれいな紅葉、豊富な温泉があります。是非お出かけください。 |
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(5月24日消印、郡山市在住) |
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○ |
ご心配をおかけしています。幸いにも被害は少なく普通に生活するありがたさを感じています。原発の問題はまだ時間がかかると思いますが、はやく落ちついて欲しいと願っています。 |
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(5月29日消印、塙町在住) |
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○ |
お問い合せ頂き恐縮です。震度7強でしたが強烈です。(蛍光燈がほぼ180°近く揺れました。)小峰城の石垣は50%程崩れました。2‐3mの大石が道の真中に落下、不通。 |
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(4月30日消印、白河市在住) |
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○ |
福島市の震度は6弱とものすごいものでしたが、地震による被害は限定的でした。一部に液状化現象による道路の損壊、屋根瓦の落下、土塀の倒壊等は見られました。ライフラインも一旦全てダメになりましたが、1日〜3週間位の間で全市復旧いたしました。問題は原発です。現在までの放射能の蓄積で既に人の住めなくなった地域がありますが、今後この地域が拡大するのか、あるいは処理に失敗して大爆発がおきるかして福島市を含む福島県の多くの市町村で避難の余儀ない状況にいたるのではないかと心配いたしております。
ご心配いただきありがとうございました。友情を心強く思いました。 |
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(5月17日消印、福島市在住) |
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○ |
ライフラインは一時期止まりましたが今は物資も十分に手に入ります。原発の問題以外は支障在りません。 |
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(5月8日消印、福島市在住) |
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以下、会報掲載分
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ご心配を頂き恐縮です。当日は大津波警報・避難指示が出ましたので、停電の中避難所生活を経験しました(診療所、住宅ともに海岸近くにあります)がお蔭様で被害はほとんど無く過ごすことができました。(2〜3m程度の津波はきていたようです)
岩手、宮城、福島のことを思うと言葉がありません。 |
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(5月10日消印、青森県在住) |
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私自身は被害には会いませんでしたが、職場(高校)の施設、体育館の天井がこわれる、生徒の家が流される等、現在でも避難所生活をしている生徒もいます。(名取高校、常磐線沿線)
現在、避災者に対して一番の必要なものというと、正直に言ってお金です。物資的にはある程度までは足りていますが、色々な面で使えるお金が必要です。 |
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(5月10日消印、白石市在住) |
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マンション5Fということで地震による被害はありますが津波の被害はありません。歳出抑制で委託されていた事業がなくなり仕事を失ったのが最も大きな損失です。
いち早く高校時代の同級生の皆様からお見舞メールをいただきました。やさしさと連帯感に支えられました。ありがとうございました。
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(5月15日消印、仙台市青葉区在住) |
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家族は無事、自宅は外構が半壊、屋根と内壁がやられました。しかし、修理で対応できそうです。石巻の妻の実家が津波で流されなくなり、親戚も2人ほど流されて見つかっておりません。
今回の震災を通して人と人とのつながりの大切さ、思いやり、心遣いを痛感いたしました。G組のみなさん本当にありがとう。 |
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(5月2日消印、宮城郡利府町在住) |
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自宅は中心市街地から離れており、ライフラインは断水のみ8日間で旧に復しました。家屋・家財等の損傷は軽微でした。夫婦共々微力ながらボランティア活動に加わりました。ただ、原発事故だけは長期戦の様相で、心を痛めております。
E組のクラスメイトからは、お見舞い・励ましのメッセージを数多くいただいて、感謝しております。また、同期他組や紫友会後輩の方々からも有益な震災関連のアドバイスを頂きましたことをご報告します。 |
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(5月11日消印、福島市在住) |
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マンション(12階建)の9階のため揺れがひどく室内がメチャクチャの状態です。壁、床損傷、室内のほとんどのものが倒れ(転倒防止策をとっていたのですが)テレビ、冷蔵庫、食器類その他70%程度こわれました。
専有部分の修理が必要なためしばらく(1年位)北本市に移転します。 |
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(5月6日消印、白河市在住) |
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したたかな揺れに恐怖を味わいました。電気、ガス、水道のない生活が数日続きました。自宅は倒壊はまぬがれましたが壁や土台に多数の亀裂が発生し、ボロボロになりました。造成の悪い土地のため北側が少し陥没し、家の床も北側半分が傾いてしまいました。被災家屋が多いため、修理のメドも立ちません。今後予想される大きな余震や台風に耐えられるかどうか不安な毎日です。今でも毎日余震があり、その度に家がきしむため、精神的に疲れます。
数名のクラスメートからお見舞いのメールや電話を頂きました。震災後、しばらくはメールも電話も不通でした。新型インフルエンザ用の備蓄が役立ちました。卓上ガスコンロが活躍しました。災害への備えの大切さを痛感しました。人口密度が高く、建物の密集している東京で大地震が起きたら一体どうなるか心配です。建物が頑丈でも土地が脆弱だとどうしようもありません。今回の大地震の教訓です。生活はほぼ復旧しておりますのでご心配には及びません。
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(5月★日消印、日立市在住) |
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